TAITEC-Online

導入事例 No.002

「志ある医学者」と「プロの経営者」の二人三脚で始めた遺伝子治療のリーディングカンパニーへの歩み

株式会社遺伝子治療研究所 様

ユーザー様について

ホームページ[https://www.genetherapy-ri.com/]より抜粋)
「遺伝子治療」は遠い未来の夢物語でしょうか?実はあと少し手を伸ばせば届くところまできています。
私たちは、安全性に優れたアデノ随伴ウィルス(AAV)を、治療用遺伝子を運ぶベクターとして応用する革新的なアプローチにより、これまで効果的な治療法のなかった難病に対して世界をリードする遺伝子治療が提供できると確信しています。
まずパーキンソン病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)、アルツハイマー病に焦点を当て、基礎研究から臨床研究まで一貫して、スピード感をもって実施し、一日も早く「遺伝子治療」を普及させるべく『株式会社遺伝子治療研究所』を設立いたしました。当社は日本発の遺伝子治療のリーディングカンパニーを目指し、より安全性の高いウィルスベクター、及び、より効果的な遺伝子導入技術の追求を最重要課題として取り組んでまいります。
世界中の知見と技術を活用し、それをまた世界中の難病で苦しんでいる方々に還元する、それが私たちの使命です。

【2018年1月追記】

ホームページ[https://www.genetherapy-ri.com/category/news/date/2016/08?post_type=information]より抜粋)
新設したAgilis GTRI Japan株式会社(以下、「AGJ社」)におきましては、平成29年1月末を目途に遺伝子治療用ベクターのGMP製造を行う設備および研究開発施設を設置する予定であり、設備設置完了後は、欧米では主流となっているバキュロ法による200Litter培養槽でのAAVベクター製造開発に取り組む予定です。
Agilis社は、米国において当社と同じく遺伝子治療の開発を進める企業で、2013年12月に米国マサチューセッツ州ケンブリッジ市において設立され、その後国立台湾大学病院において、AADC欠損症の遺伝子治療による治験を進め、これまで治験第2相を終了し18例の臨床経験があります。

取材の経緯

発端は、遺伝子治療の最先端、しかもその遺伝子治療薬(目的遺伝子をベクターに搭載したもの)の製造現場に当社のチラー(恒温水循環装置)CH-802Bを選定して頂いたことに始まります。
半導体製造ラインにて数多くの実績を持ち高い温度精度とメンテナンス性を備えた本機が、どの様に貢献しているのかを是非とも拝見したく、取材をお願い致しました。

インタビューに答えてくださった方

代表取締役社長 浅井 克仁 様
製造開発グループ マネージャー 吉沢 創太 様

インタビュー

今再び脚光を浴びる遺伝子治療

機能不全を起こしている細胞に治療用の遺伝子を送り込むことで機能を修復あるいは補う遺伝子治療の歴史は意外と古く、1990年にアメリカで行われた「アデノシンアミナーゼ欠損症」患者への治療が最初でした。しかし、治療は成功したものの、2002年になって治療を受けた患者に重篤な白血病が発症する事態が相次いだため安全性への懸念が膨らみ、研究は一気に下火になってしまいました。原因は、治療用遺伝子の「運び屋」として使用されたレトロウィルスベクターによるものと推定されました。
そのような背景を持つ遺伝子治療ですが、近年になって安全性に優れた「AAV(アデノ随伴ウィルス)ベクター」が実用化されたことにより、再び脚光を浴びるようになってきました。野生型のAAVはアデノウィルス等のヘルパーウイルスと重感染しない限り増殖できず、重感染した場合でも増殖しないよう関連遺伝子を欠失して治療用のウイルスバクタ―として使用するので問題ありません。現在までに病原性に関する報告がされていない稀有なウィルスです。AAVをベースとしたベクターは安全性が高いだけでなく、幹細胞や免疫細胞のみならず神経細胞や筋細胞、肝細胞などにも遺伝子導入が可能で、しかも免疫源性が低いため治療の効果が長期間持続するという利点も併せ持っています。

自治医科大学 特命教授 村松慎一 先生との出会い

当社の取締役である村松慎一先生は、1995年に米国国立衛生研究所(NIH)の客員研究員として遺伝子治療の基礎研究をスタートし、先の遺伝子治療衰退期もコツコツと基礎研究を積み上げてこられました。
2007年には自治医科大学にてAAVベクターを用いた国内初のパーキンソン病の遺伝子治療に携わり、治験者6名全員の病状が改善、しかも副作用も認められなかったという素晴らしい成果を上げられたのです。2013年にはその他の疾患についても、モデルマウスでの効果がプレスリリースされています。
ところが、その成果は注目を浴びたにもかかわらず、結果としてどこの企業も投資家も、村松先生に資金を提供してはくれませんでした。なぜだと思いますか?
医薬品が上市されるまでには、
①POC(概念実証) → ②CMC(製造方法の確立・品質試験等) → ③非臨床安全性試験 → ④ヒトでの治験 → ⑤申請・承認(審査機関は12ヶ月)
というプロセスを踏みます。
いずれも劣らず大変な作業なのですが、研究者の方々があまり関心を寄せていないのがCMCで言うところのManufacturing、即ち実際に医薬品として製造できるかどうかを検証していく段階の「壁」の高さです。治療薬として構想された化学物質の効能が実証されたら、それを実際に医薬品として販売するためには製剤としての安定性を持たせて商業規模での製造方法を確立しなくてはなりません。地味ながら最も時間とお金がかかる、一番厳しいプロセスと言えるでしょう。しかもここを乗越えなければ、上市には漕ぎ着けられない…。
企業や投資家が慎重になるのは、こうした「時間とお金の壁」を熟知しているからです。当時別の会社の社長だった私は、新規事業を探していました。人づてに村松先生の話を聞き、直接会いに伺ったのが2014年の1月の事です。その道の「素人」だった当時の私は、なぜこんなに素晴らしい成果を目の前にして、どこの会社も支援の名乗りを上げないのだろうと不思議でした。資金的なバックアップをするので、是非実現化を目指してくださいとお願いしました。今考えれば「何も知らなかった」ことが、かえって良かったのだと思います。(笑)

志を共有して会社設立へ

村松先生の高い志を知れば知るほど、治療を心待ちにしている大勢の患者さんのためにも、なんとかこれを早く世に送り出さなければとの思いが強くなるばかりでした。また同時に遺伝子治療のビジネスとしてのスケールの大きさに強く魅力を感じたのも、偽らざる事実です。
私はそれまでにいわゆる「雇われ社長」として様々なプロジェクトを歴任してきました。物流会社の「フットワークエクスプレス株式会社」(現トールエクスプレスジャパン株式会社)の事業再生を果たし、健康食品販売会社の株式会社エバーライフでも同様に実績を上げてきました。大きな会社での仕事はもう十分にやり尽くしたかな?と感じていた頃でしたし、もし次に会社をやる時には創始者でありたいという、私なりの夢もあって、初めて村松先生とお会いして4か月後の2014年5月にはもう株式会社遺伝子治療研究所を設立していました。

AMEDの助成金申請が通ったのを機に自社製造を決意

しかし、この先どの位お金がかかるか分からない状況なので、なるべく会社は「身軽」にしておいたほうが良いと考え、最初の2年間は文字通り「二人三脚」、先生と私の二人だけの会社でした。2人でいろいろ話し合ったり、厚労省に話を聴きに行ったりしていました。治療用遺伝子を載せたAAVベクターの大量製造は外部に委託して、社内では薬事の手続きをやって、販売に専念するのが当初の方針でした。
2015年4月に設立されたAMED(国立研究開発法人 日本医療研究開発機構)の研究費を得ることができたのをきっかけに、さらにいくつかの研究費を得ることができてその頃から資金的には少し余裕が出てきました。
ですがここで思い直したことがあります。遺伝子治療整剤の外部製造委託は、自前で設備投資をしなくてよい点がメリットです。しかし出来上がった遺伝子治療整剤が期待通り実際に効力を発揮できる品質で、十分な量を確保できる効率の良い製造ができるかどうかという「リスク」は全て当社にあります。ところがその「リスク」を減らすためには様々に条件検討を行う自前の「ラボ」や「人材」が必要になります。さらに進めて、遺伝子治療薬の上市をも見据えた私たちの「ビジョン」を実現するためには、結局、研究から製造までを一貫する「工場」が必要なのではないかと。私はここで「腹をくくる」ことにしました。
それからは、もう怒涛の日々でした。2016年4月には、初めての社員を採用し、同年7月にはラボを設立。11月には商業用として200Lの細胞培養が可能なGMPの製造ライン工事に着手し、3か月後の翌2017年1月には完成させました。
お手伝いをして頂いたコンサルタント会社の方からは、「こんな短期間で立ち上げる計画なんて見たことない」と言われました。当然、将来のビジョンを見据えてはいるのだけれども、この時ばかりは将来よりも「足元を見ながらコケないように、でも全力疾走」、という状態でした。
GMPの申請を来月(2017年7月)に予定していて、そこからPMDAによる審査があり、順当に進めば来年1月には認可がおりると思います。

AAVベクターおよび治療用遺伝子の生産とタイテックチラー

当社のAAVベクターおよび治療用遺伝子の製造には昆虫細胞を用いています。最適な培養温度は+27℃~+28℃なのですが、+29℃を超えると細胞が死滅してしまうという、大変デリケートなものです。+27.5℃を境に、±0.5℃ぐらいで安定させたい。この、室温より微妙に高いぐらいの温度を精度よく維持、ましてや製造用の200リットルもの培養タンクの温度管理を行うとなれば冷却装置が必要です。そこで、家田化学薬品さんも巻き込んで温度調節性能に信頼のおけるチラーを選定させていただきました。
先日、バリデーションもタイテックさんにお願いしました。確認不足で配電設備のコンセントがチラーの電源プラグと合わないというアクシデントもあったのですが、その場で迅速に対応して頂き大変助かりました。

遺伝子治療研究所を立ち上げてからこれまでで一番エキサイティングだった瞬間

今のところは完成した製造ラインを初めて見た時です。もちろん工事中にもたびたび見てはいたのですが、先にお話ししたように怒涛の過密スケジュールに加えて、経産省による監査の際にはかなり厳しいことも言われました。それをクリアして完成した時は、それは感無量でしたよ。でも審査が通ってGMP認定工場として稼働を開始できたら、その瞬間はもっと感激するだろうと思います。

今後の展開~~優先的にALS(筋萎縮性側索硬化症)の治療法確立を目指して

現在わが社がフォーカスしているのは、パーキンソン病、アルツハイマー病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の遺伝子治療です。その中でも特にALSを優先していくつもりです。実際にヒトでの有効性・安全性が確認できているパーキンソン病や、市場規模の大きいアルツハイマー病に注力したほうが企業としては「楽」であるのは確かです。しかし、ALSは未だ根治療法が無い難病で、しかも患者さんたちに残された時間は決して長くありません。患者さんたちの渇望に応えるためにもこれに注力すべきと考えました。国(AMED)にもこの点をご理解して頂いており、当社の研究を資金的にバックアップしてくれています。
当社が現在開発中の遺伝子治療の対象疾患は5つ。次いで候補として10個ぐらいの疾患についてもプランがあります。村松先生がお持ちのターゲットを全部合わせると100以上の「ネタ」を当社は既に持っています。いずれも難病や希少疾患と呼ばれるものです。
もし仮に100の疾患を遺伝子治療できたならば、日本の「難病」はかなり減るでしょう。


あとがき

神奈川県が再生・細胞医療の産業化の拠点として設立した「ライフイノベーションセンター」。まだ真新しいこの建物の4階のミーティングスペースが今回のインタビューの場所でした。目の前には多摩川の河口とその向こうに羽田空港が広がる絶景です。浅井社長がその対岸を指さしながら「2020年のオリンピックまでにはここに橋が架かるらしいですよ。」と教えてくださいました。

事業費300億円、長さ約800mのこの橋は、ビジネスと研究を結び付けようとする東京都と川崎市の本気度合を伺わせます。そしてその橋の完成に呼応するように、「日本発の遺伝子治療のリーディングカンパニー」がこの場所に出現するであろうことを確信しました。

 
インタビューの後、なんと件の製造ラインを見せて頂くことができました。クリーンルームウェアを着て入ったそこにはお話通り、200Lの培養タンクが弊社のチラーCH-802Bを携えて鎮座していました。チラーとともにバリデーションを済ませたアルミブロック恒温槽DTU-Miniも、近い日に始まる怒涛の本格稼働を前に、静かにその時を待っているようでした。

お忙しい中、取材に応じて頂いた浅井社長、並びに製造開発グループマネージャーの吉沢様、またご協力いただいた家田化学薬品株式会社様には厚く御礼を申し上げます。誠にありがとうございました。

 
 

【2018年1月追記】
アルミブロック恒温槽DTU-Mini(2017年ご購入分及び2018年新規ご購入分)の現地バリデーションを実施させて頂きました。

記事中に登場する製品

小型CHシリーズ(空冷式、精密温調、200V) | クーリングポンプ | CH-802B
精密温調、高温冷却、各種信号の入出力。シリーズ中もっとも高い冷却能力。水冷式もあり。■使用温度範囲:-10℃~+80℃(*1) ■温度調節精度:ヒーターPID制御、±0.5℃(*2)
アルミブロック恒温槽 | ドライサーモユニット | DTU-Mini
実験台を占領しないコンパクトな設置面積。速い温度移行、交換ブロック豊富。■設定可能温度範囲:0℃~+105℃ ■使用温度範囲:室温+3~室温+95℃